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ジョナサン・タイラー・レスター(Jonathan Tyler Lester, 1984年1月7日 - )は、アメリカ合衆国・ワシントン州タコマ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLB・シカゴ・カブス所属。 == 経歴 == === プロ入りとレッドソックス時代 === にMLBドラフトでボストン・レッドソックスから2巡目(全体57位)指名を受け、プロ入り。 シーズン終了後にアレックス・ロドリゲスとのトレードでマニー・ラミレスとともにテキサス・レンジャーズへ放出されそうになるも、トレードは破談に終わる〔Michel Silverman著、木村愛訳 「ジョン・レスター 再生の証」『月刊スラッガー』2008年8月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-8、36 - 38項。〕。 6月10日に本拠地フェンウェイ・パークでのレンジャーズ戦で先発してメジャーデビュー。その試合では勝敗はつかなかったものの、4.1回を投げて5安打を浴び、自責点3。その後は先発ローテーションに入って2ヶ月の間に7勝を記録。 8月中旬になって背中の痛みに悩まされるようになった。そのため8月下旬にシアトルに遠征した際、精密検査を受け、血液癌の1つである悪性リンパ腫のうちの「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」であることが判明〔。抗癌剤による治療を受けることになった。癌は12月に緩解した〔。 抗がん剤の副作用で体重が激減したレスターに対し、球団はメジャー復帰を慎重に考え、のキャンプに参加できたが、メジャーチームとの投球はなかった〔。復帰には時間がかかると思われたが、リハビリに励み4月末にマイナーへ復帰。2007年7月23日に先発投手としてマウンドに再び登った。ポストシーズンではレッドソックスが優勝に王手をかけたワールドシリーズ第4戦で先発し、勝利投手となり世界一を決めた。シーズン終了後にはヨハン・サンタナとのトレード要員として挙がったが、成立せずに終わった〔。 3月6日にレッドソックスと1年契約に合意。この年は先発ローテーションの一角として起用され、左腕として球団史上ベーブ・ルース、レフティ・グローブの2人しか達成していないシーズン15勝・30先発・200回・150奪三振を達成〔。5月19日には本拠地フェンウェイ・パークでカンザスシティ・ロイヤルズを相手に球団史上のべ18人目、球団の左腕投手としてはのメル・パーネル以来となるノーヒットノーランを達成。投球数は130球(うちストライクは86球)、許した走者は2つの四球だけであり打者29人に対し奪三振9、内野ゴロ11、フライ7という投球内容だった。メジャーで自身初の完封であり、完投であった。シーズン終了後にはハッチ賞を受賞した。 3月15日にレッドソックスと総額3,000万ドルの5年契約(2014年・1300万ドルの球団オプション付き)に合意した。この年は32試合に登板し、15勝8敗・防御率3.41だった。 は前半戦の18試合で11勝(3敗)を挙げ、オールスターに初選出された。この年は32試合に登板し、19勝9敗、防御率3.25だった。 は2年連続でオールスターに選出され、シーズンは31試合に登板。4年連続二桁勝利となる15勝(9敗)を挙げ、防御率3.47だった。 もエースとして開幕を迎え、33試合に登板したが9勝にとどまり、チームワーストの14敗、防御率も自己最低の4.82を記録した。 は33試合に登板し、2年ぶりの二桁勝利となる15勝(8敗)、防御率3.75だった。オフの11月1日にレッドソックスが1300万ドルの球団オプションを行使した。 は21試合に登板し、10勝7敗・防御率2.52だった。7月には3年ぶりにオールスターに選出された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・レスター (左投手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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